4月 30, 2013 | In: 未分類

ゲイと女装と情報量と。

※わりと真面目な話を書きます。

私は大学生。そこでは私はある程度仲良くなった友達(閾値が低いのでまあ知り合いほとんど)には、ゲイであること、彼氏がいること、女装したりもするよ、ってことを公言してる。

 

通ってるのは情報学部。情報学部なので、「情報」というものについていろんな角度から学ぶ。

その中に一つ、情報の量とは?という問いがあって、その答えのうちの一つとして「その報せがどれほどの頻度で起こるか?」を基準にする、というものがある。

つまり、めったに起こらないことは「情報量が多い」となってしょっちゅうおこることは「情報量が少ない」となる。

 

ほとんどの大学生にとっては「『男』の友達に『彼氏』がいる」とかそういうのは、ほとんど遠い世界の話、みたいに思っている人が多かったみたいで、初めの方はわりと驚いた感じで接される。

でも、私がずーっとずーーーっと「あ、彼氏から電話だ」とか「ちょっと待って、彼氏からのメール返す」とか「今度の連休彼氏とデート!わーい!!」とかやってるおかげで、みんな徐々に驚かなくなる。

そんな日々を続けていて、私がふと「ん、彼氏からメールだー」とか言ったら「なんかもうお前のその彼氏がどうこうってのは情報量が低いなw」と誰かが言い出して、なるほど、と思った。

 

いわゆるノンケの人で、(少なくとも表面的には)ノンケオンリーなコミュニティにずっといた人にとって、誰それが「ゲイ」だとか「バイ」だとか、まあつまり友達・知り合いが「セクシャルマイノリティー」だというのは、すっごく頻度の低い出来事なんだと思う。だから、情報量の定義を借りれば、情報量が多い。

でも、私がわりとオープンにバシバシ言っていくので、みんなそれに慣れて「ああ、そういう人もいるよなー」程度にはなってくれたと思う。少なくとも「あいつはそういう人だよなー」にはなってくれた。

つまり、ゲイとか女装とか、そういうものに対するみんなの情報量が下がった。

 

情報量が下がると、どうなるか。技術的には圧縮ができたり~って話なんだけど、社会的な側面から見てみると、つまりそれが日常になった、ってことだ。

そして日常になったら、偏見ってものの一部は、だんだんと減っていくと思う。

もちろん学校の私の周りの人たちも、きっと私がついったでフォローしているセクマイクラスタさんたちから見ると、まあ、もちろん私から見てもたまには、結構に差別的な言い回しをしてる人もいると思う。

でも、それでも、私はここにいて、ゲイで、女装が好きで、かわいくなりたくて、大好きな彼氏がいる、そんな今までは「ちょっと特異」つまり「情報量が多かった」ことが、「私みたいな人もいるよ!!!」って声を上げて、それを日常的にさりげなく主張し続けることでそれが「全然普通」つまり「情報量が少ない」ことになる。

それってすごいことだよな、って、私は思った。もしそういう「ちょっと特異」だった人たちが、徐々にいろんなところで「全然普通」のわっかを広げていけば、いつの間にやらそれは「どこに行っても日常の普通な風景」になる。まあそんないきなりは無理だけど、でも、可能ではある。

 

そんなこんなで、適当に書いているのでまとまりがなくて最後の結びもまとまらない。けど。

私はなかなか自分を表現してアピールして、世間に広く知られる、ってことは得意じゃない。フォローされてる人よりフォローしている人の方が多い。某巨大掲示板の某VIP板で私の立てたスレッドが最後(1000レス)まで行ったことがない。私の言葉はたぶん、みんなに、全体に向けて話すことには向いてないんだと思う。

でも、私は少なくとも日常で友達を増やすのは得意だ。大学でも結構顔が広いらしい(最近言われた)。なので、そういうところから「私みたいな人もいるんだよ」ってことを伝えていって、「今まで情報量の多かった出来事」を「日常で、情報量の少ない出来事」に変えていけたらなあ、って思っている。

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